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就職・進路支援

林真理子さん

お名前:林真理子さん(旧姓 山田)

卒業学部:経営学部国際関係コース専攻

卒業年:2004年3月

所属会社名:特定非営利活動法人日本国際ボランティアセンター(JVC)

勤務地:ラオス

1:現在のご職業を選んだ理由と仕事内容について教えてください。

理由:

大学卒業後、初めて経験した仕事は、龍谷大学の国際部の仕事でした。大学の留学制度で学んだ英語を使う仕事でしたが、国際関係コースを専攻していたこともあり国際協力・開発といった分野にも関心があったため、大学の国際部で働いた後は、日本をベースとしたアフリカ支援のNGO(非営利組織)や海外でのODA(政府開発援助)事業を実施する開発コンサルティングの会社で働きました。そんななか、海外出張など、短期ベースで途上国支援の仕事をするうちに、日本ではなく海外をベースに生活し働きたいと思うようになり、現在の仕事に就きました。

仕事内容:

現在のラオスでの仕事では、農業・農村開発と森林保全をとおして、村の食料確保と生計計向上を目的とするNGOの支援プロジェクトで、現地代表をしています。活動では、稲作技術支援、井戸掘削や森林保全の意識啓発活動など多岐にわたります。ラオス人スタッフが十数人の小規模なプロジェクトなので、事務所の管理から、事業の資金確保、プロジェクト管理まで様々な業務をし、本当に忙しい日々です。住んでいるのはサワナケート県というラオスでは第2の都市といわれる場所ですが、そもそも人口、経済規模ともに小さな国なので、ずいぶん田舎です。さらに活動対象地は街から離れたインフラの整備がいき届いていない場所なので、フィールド出張に行くと電気や井戸、もちろんトイレもないような村での活動になります。仕事は大変ですが、現地の人たちとともに生活しながら、途上国の人々の生活、発展の在り方などを考えていく、大変やりがいのある仕事だと思っています。

補足説明(背景):

私は龍谷大学を卒業してから、龍谷大学の国際学部で留学担当(特別嘱託)として3年間働きました。(2004-2006年、3年間、23-25歳)

その後、龍谷大学の教授から紹介を受け、アフリカ支援のシンクタンク系アドボカシーNGOで外務省NGO専門調査員として(外務省のNGO支援スキーム)働きました。日本政府が2008年に主催したアフリカ開発会議に向けた時限付のNGOだったので、2年後には活動が終わりましたが、ここでの仕事が国際協力業界のはじめの経験でした。(2007-2008年、2年間、26-27歳)

2009年からはNGOの理事であった開発コンサルティング会社のアフリカ農業専門家の方に誘いをいただき、JICAなどの海外開発事業を請け負う、地域開発・農業専門の開発コンサルティング会社(民間)で働きました。私は文系学部卒業で専門分野もなければ国際協力の現場経験もなかったので、まずは業務調整として都市計画や稲作支援のJICAプロジェクトに参加し、今は入国さえできない中東のシリアやエボラで一躍有名になってしまったシエラレオネなど、何度か足を運びました。(2009年-2012年7月、3年半、28-31歳)

そして現職に至ります。(2012年8月-現在、2年半、31-33歳)

2:海外に行くきっかけは?

大学の交換留学制度を使って、1年間フィンランドへ行ったのがはじめのきっかけです。龍谷大学の交換留学では、留学中の学費も免除され、単位の互換が可能なので留学をしても4年間で卒業することができました。その後、大学、NGO、民間の開発コンサルティング会社で働く際、どの仕事も、頻繁ではありませんがいくらか英語を使う仕事でした。

現在の仕事に就いたきっかけは、夫も同じ国際協力・開発の仕事をしており、ラオスで数年働くことになったためです。当時私は開発コンサルティング会社で働いていましたが、夫の海外赴任を機に、私もラオスへ行くことへしました。はじめは同伴でついていくだけにしようと思いましたが、今までの自分の経験も含めせっかく途上国へ行くのであればと、ラオスでの仕事を探しました。夫は首都のビエンチャンに住んでおり、私の赴任先は450km離れたサワナケートという県で別居になるため、応募するかどうかもかなり悩みましたが、最終的には決心し、現在は別々の場所に住んでいます。月に2度ほど週末に会う生活を続けているので大変ですが、二人とも海外での仕事に関心があるので、海外で働くことは私たちにとっては当たり前の選択肢でした。

3:海外で働く上で、苦労したことは何ですか?

海外といってもラオスはまさに途上国です。普段は比較的発展した町に住んでいますが、活動で対象村へ行くときは、教科書で学んだ高床式住居の村人の家に、2-3泊します。貧しい村だと電気も井戸水もありません。夜は月明かりと懐中電灯で過ごし、トイレには林へ行き、水浴びは小川でします。慣れればなんてことありませんが、初めのうちはわからないことが多く、苦労しました。

仕事の上での苦労は、ローカル・スタッフとの意思疎通や議論です。彼らの文化や思考を知ることなしに仕事はできません。日本では時間をきっちり守り、人の期待に応えられるよう精一杯働くといった働き方が身についていますが、ラオスは時間にゆるく、社会主義国ということもあり仕事で身を粉にして一生懸命に頑張る、といった働き方はしません。また、彼らにとっては“精一杯”でも日本人が考える“精一杯”とは違います。日本での働き方を前提に考えてはストレスが溜まってしまう一方です。そのため、まずはラオスの人びとが大事にしているものは何か、どういう文化の基にどんな考え方をするのか、といったことを考えるようにしました。相手の文化や考え方を知り、それを受け入れることで、やっと上手にコミュニケーションをとりながら働くことができるようになりました。

一番の苦労は何といっても、議論にあります。スタッフの能力強化のためにも、できるだけプロジェクト管理(計画や予算の見直し、問題点や課題)をともに行うことにしていますが、論理的に物事を整理していく習慣がないため、議論は一苦労です。

4:海外で働く上で、感動したことは何ですか?

(ラオスでいえば)自然とのつながりです。村での滞在の際、月明かりは電気の代わりです。満月が出ていると電気がなくても辺りが良く見え、これほど月明かりを意識したことは今までありませんでした。またラオスは昆虫食で有名です。コオロギ、アリ、セミ、カブト虫などは貴重なタンパク源です。またキノコやタケノコなどの食料はもちろん、竹や木で家を作ります。自然の恵みと知恵で、自然とともに生活している人びとの暮らしを見て、改めて自然の大切さを実感し、感動しました。

5:海外(現地)で聞いた忘れられない言葉は何ですか?

(とくに印象的なことはありませんが、しいて言えば)
活動対象地のおじいさんに「子どもは何人いますか」と聞いたところ「10人います。でも8人は亡くなりました。」で言われました。病院も、病院へ行く手段もないような場所なので珍しいことではないのですが、おじいさんが続けて「でも私はとても幸せです。生きている家族がいて、皆が楽しく生活しているのでとても幸せです。」と明るい表情でおっしゃいました。日本は、自分が幸せと感じることが難しい社会ですが、こんなに貧しい大変な生活をしていても幸せを噛みしめながら生きているおじいさんの言葉を聞いて、自分が抱える悩みやストレスが何でもないように思え、励まされました。

6:大学時代に一番頑張ったことについて教えてください。

特に頑張ったといえるようなことはしていませんが、とにかく、色々なことを学びたい、知りたいと思い、映画を観、美術館へ行き、スポーツをし、イベントに参加し、アクティブに生活しました。

こつこつと勉強することが苦手なのですが、留学制度に応募するときには英語の勉強を頑張りました。参考書やラジオや映画、英字新聞など様々な英語の勉強方法を試し、大学の図書館が閉まるまで勉強していました。

7:授業やクラブ・サークル活動など、学生時代の経験(身につけた能力)が今の仕事に生きていると感じるのはどんな時でしょうか?

私は、クラブやサークルには所属していませんでしたが、自分が留学したかったこともあり、留学生の友達を作り、よく一緒に出掛けたりしました。話していたのは日本語でしたが、いろいろな国からの留学生と接することで文化の違いや考え方の違いなどを自然に学んでいたと思います。

現在住んでいるラオスでは、現地の村の人々だけでなく、国際援助機関(国連や各国援助機関)、海外NGOなど、世界各国の人々と接する機会がたくさんあります。学生の時から外国人との付き合い方を身につけているので、違った考え方や文化を受け入れやすく、今に生きているとしばしば実感します。

8:龍谷大学生(後輩)へのメッセージ

今から思うと、大学の講義や読んだ本、アルバイト、旅行など何でも、大学のときに見たり学んだりすることは今に生かされ、大事だったのだなと実感します。一方で、大学の時に資格を取り、専門性を磨いておけば良かったと後悔もしています。私が学生のときは、関心のある専門分野が定まらなかったのでとにかく何にも興味を持ち、アクティブに生活しましたが、何か打ち込めることや専門性を持つことはやはり社会に出てから強みになります。
ひとつのことでも色々なことでも、一生懸命に取り組むという行為が大事なのかもしれません。